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「やっとかめだのん」。そう声をかけてくれた立ち飲み屋の“やまちゃん”が大阪・天満駅前界隈から姿を消してもう1年以上になる。健康を害したのでなければよいが。「お元気ですよ」と聞いた。月に1〜2度のぞくこの店の関東煮(かんとだき)を受け持つ看板男だった。いまは二代目“やまちゃん”が継いでいる。 みんな気さくに“やまちゃん”と声をかけていた。ぼくより少し年上で薄い白髪頭の痩せ型だった。あいそをふりまくでもなくただ黙黙とスジ肉やらコンニャクやらを竹ぐしに刺し受け持ちの業務に専念していた。大阪では珍しい三河弁で客に接した。ぼくには岡崎周辺の最新情報を聞かせてくれた、心なごむ話し相手だった。岡崎市ゲリラ豪雨被害のニュースに接したとき、すぐ“やまちゃん”を思い出した。「おそがかったで」「テレビをみりん」などと懐かしい三河弁が聞こえてきそうな気がした。 「だら」「りん」「じゃん」は三大三河弁。豊田市に転勤したことがあるというわがマンションのYさんから教えてもらった。このマンションでは方言で会話する人はほとんどいない。大人も子どもも「標準語」といおうか「共通語」で話す。だが外国人の子どもだけは親のしつけなのだろう、家族の会話を英語に徹している。言葉を大事にしているのだ。 ひねくれもんのぼくは30代のころ、なんでも語尾に「○○でさ」という東京弁に反感をもち、寝言に「エッサエッサエサホイサッサ」と大声で歌ったことがあるらしい。ぼくが反感をもったのは東京弁だけではない。名古屋弁もそうだ。小学校六年生で猿投村から転校してきた三河弁のぼくは、周囲の名古屋弁になじめず、だんだんいじけていった。どこで暮らそうと言葉に優劣はないはずだ。10代の後半から、中途半端な名古屋弁から大阪弁に染まっていったがどちらにもなれないでいる。 明治の終わりから大正のはじめにかけて「国家統一」の一手段として「国語の統一」を説き、学校教育から方言をなくそうとした言語学者がいたらしい。「地方語の消滅」とか「方言撲滅」とか「方言矯正」とか過激なことを言うたらしい。いまは表向きにしろ「地方分権」の時代だ。ぼくが感心するのは、大阪に何十年と住んでいて、広島弁や名古屋弁、東京弁に少しも揺らぎのないボランティア仲間がいることだ。すごいと思う。方言を大事に暮らす生き方は尊ばれるべきではないか。 麦秋や遠き猿投山に猿投村 たかし |
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