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大阪で滝といえば箕面。もみじといえば箕面。箕面のもみじまつりが終わった翌日、人混みを避けて妻と滝道を歩いた。「前期」・「後期」入り混じった中高年ばかりが目につく。仲間づれも多い。阪急電車の駅から滝まで約2,8キロ。おしゃべりしながらの恰好の散歩道である。紅葉はイマイチだった。それでもあちこちできれいな景色を撮ろうとカメラを向けている。 瀧安寺横の広場でおにぎりを頬張りながら、妻が「お父さん、あの白いもみじはなに?」と聞く。「??そんなんあるかい。どこや?」。見ると、たしかにもみじのようだが枝先に白い菌がいっぱいへばりつき、葉は赤くなく、よれよれの薄茶色になっている。「もう、後期高齢(とし)かもしれんなあ」。あてずっぽに言った。「桜(の寿命)はだいたい100年と聞いたがもみじは知らんなァ」。目を転じると、ところどころにカエデの真っ赤なもみじも見える。まだ箕面のもみじも捨てたもんやない。 箕面の滝は昔から熊野の那智滝(南滝)に対する北滝と称せられた名所である。芭蕉や上田秋声ら多くの文人が 訪れている。 芭蕉は、友人山口素堂との両吟和漢歌仙で 剪 銀 鮎 一 寸 堂 箕面の瀧や玉を簸(ひる)らん 蕉 と吟じあっている。 ここでいう箕面は、農具の箕(み)へのかけ言葉だろう。箕面の滝のように箕(み)を篩って玉のようなお米を採るという意と解したい。きれいな水流に跳ねる若アユと滝水で研いだまっ白な米。芭蕉のするどい感性を彷彿させるではないか。 神戸出身のホトトギス派俳人・後藤夜半は「滝の上に水現れて落ちにけり」の句を残した。そう表現されるほど箕面の滝は水量があった。それが最近、山奥の大規模な住宅開発の影響で水枯れし、なんと年間3000万円の電気代を使ってポンプアップし滝水の命脈を保っているのだそうだ。「USJみたいや」という声もあがっている。 「この滝までだましかいな」。いささかがっかりしながら、滝道を下ると、橋の上が人だかりしている。「なんやなんや」と割り込んでのぞく。サンショウウオが3匹いるという。目が老化しているので良く分からないが、岩の横にへばりついているのがそうだという。愚妻は見えもしないのにいつまでも橋にしがみついて見ている。これはどうやら本物らしい。 瀧の前紅葉かつ散るゆるやかに 水明 憂き人も漫ろ歩けばもみじばれ 愚句 |
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