ノーやん日記

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zoom RSS 「軽み」論に学ぶ

<<   作成日時 : 2017/04/04 18:55   >>

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 晴れ。きょうもいいお天気。桜の開花も2〜3分に。週末の日曜日くらいが満開か。なのに週の後半は天気が崩れる予報。「貧乏花見」を思い出しながらやきもきする。屋外でシートを敷いての花見は雨の場合中止。あきらめがつく。しかし、降ったり曇ったりという半端な予報だとぎりぎりまでお天気に期待をかける。用意する方もたいへんや。お金をかけて用意したおでんなどどう始末するのか。「貧乏花見」にはそこまでの対策は検討されていないが、現代風にああでもないこうでもないと新作落語「格差花見」がつくれそうな気もする。そんなこと考えるご仁はござらぬか。

 朝のうち、筑摩書房の「俳句の本」「V俳諧と俳句」から山本健吉氏の「軽み」の論―序説ーを読む。芭蕉の説いた「不易流行」や「軽み」について、山本氏は、俳諧の方法論を超えた発句のこころ、句作の魂の問題として解すべきだと説く。またもふむふむ。そこを俳諧の方法論の問題と限定して解しようとするのはその人の若さの故ではないかという。芭蕉晩年の絶唱の句「此の秋は何で年よる雲に鳥」などは「軽み」の境地の到達点と解する。またまたふむふむ。やはり「軽み」は句作の方法論義に狭めるべきでない。俳句の真髄を説いたと言葉だと解すべきかと思う。

 しかし、一人の人間が自然と社会の諸相の真を言い尽くすこと、言いとめることは至難の業である。それに最大限挑戦するのが俳諧(俳句)だとすると、愚老の句はたんなる遊び、戯れにすぎない。それも俳句という寛容の精神にいまは包まれているので救われる。
          たんぽぽの花遠ざかる世に生きて 昇龍子

 

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コメント(2件)

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「たんぽぽの花遠ざかる世に生きて」

私なりに解釈したつもりです。佳作!
fm
2017/04/04 19:18
同世代のfmさんには理解されても異なる世代に人には「どういうこと?」と言われそうです。しかし、それも俳句ですよ、といいたい。
ノーやん
2017/04/04 19:40

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